片桐みかんの日記

感じた事や、伝えたい事をおもいつくまま書いてます。

踏んだり蹴ったり!

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 こんにちは、今日も風邪が良くならずに休養しています。

そんな私の体調など関係ないかのように、夜中に暴れ回る二匹の猫たち。

突然、一匹が私のお腹を踏み台のように蹴っていったかと思うと、続いてもう一匹が同じように踏み台のように私のお腹を蹴っていきました。

「うっ」と一瞬声にならない声が出て、膀胱におしっこが溜まっていたら、ちびる所でした。お薬のせいか、おしっこがあまり出ないので、事なきを得ましたが。

かすれ声で「こらっ」と一言言うのがやっとでした。

しばらく大人しくしていた2匹の猫たちは、主人がトイレに起きたのを見ると、再び二匹で、今度は私の腰を踏み台にして蹴っていくではないですか。それも、思いっきり強く。せき込んでこんこん言っている私の腰を良くも蹴って行ったな、と怒りすら覚えました。

薬のせいか、深い眠りに落ちていきます。その後どんな困難に会っても、恐らくわからないくらいの深い眠りに・・・

 

 

咳込過ぎて一瞬よぎった事!

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こんにちは、今日は夜勤明けです。

声はかすれていましたが、仕事は何とかクリアして、無事に終了。

外来を受診して薬を処方してもらいました。

先生にかすれ声で、何で声がかすれるのか尋ねると、「声帯の近所が腫れたり、傷ついているせいでしょう。」と言われました。

ふと頭をよぎったのは、浜田省吾さんが声帯を傷め、コンサートを延期したことでした。あー、今度は私が声帯傷めて、コンサートで一緒に歌えないの?(誰も気にしてはいませんが、私は一緒に歌いたいので。)

外来受診が終わり、やっと帰れると思ったんですが、主人に下着を買ってくるように頼まれていたのを思い出し、近くのイオンモールまでバイクで行きました。

今日でなくてもよかったのですが、明日は一日休養しようと決めていたので、今日中に用事を済ませる作戦に出ました。

夜勤明けでしたが、何とか買い物くらいは出来ると思って、食料品を買おうと買い物カートをつかむと、咳が出始め、止まりません。ちょっと収まったので、お茶を一口飲むと、更に咳が激しくなって、過呼吸のようになり、ゼーゼー言い始めました。苦しくて、これ以上続くとやばいかも!と思い心配になってきました。咳をし過ぎて、腰に違和感も出て、咳で頭が揺れると、激しい頭痛がして、立っているのもやっとでした。どうしよう、こんな時はどうしたらいいのかな?と不安に襲われました。

なるだけゆっくり息をするようにしていると、少し収まってきました。

お惣菜を買い込み、今日は何にもせず、帰ったら食べて寝るぞ、と意気込み何とか家に帰り着きました。

帰って、お弁当を食べながら、韓国ドラマを見ていると、ドラマの先が気になり始め、うー見たい、でも見たら眠れない。何とか、1話だけ見て、薬を飲んで寝ました。隣に飼い猫のエマがきて一緒に寝てくれていたのですが、私が咳込み始めると、そそくさ逃げていきました。

3時間ほど寝て、少し頭痛も良くなり、お風呂に入り洗濯をしました。

相変わらず時々咳込ますが、気分は悪くないので、ブログを書いています。

咳込過ぎて一瞬よぎったこと、さぁ一体何でしょうね。

「救急車で運ばれること」でした。

救急車で運ばれたら、どこに連れていかれるんだろう?

担架に乗せられたら、連絡先を聞かれるのかな?それとも話すことが出来なかったら、どうなるんだろうと、ちょっと大げさですが、咳込すぎて苦しかった時は本当に心配しました。

あれもこれもと買い込んだお惣菜、こんなに誰が食べるんでしょう?

まぁ、とにもかくにも無事に家に帰れて良かったです。

早くこのしつこい咳におさらばして、普通にしゃべりたいです。

普通に声が出て、話せるだけでも十分に幸せだと感じる近頃の私です。

風邪の神様何処にいますか?

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おはようございます❗
私の声は相変わらずのかすれ声が続いています。

105歳で亡くなった祖母の教えを母が私に色々教えてくれました。その中に、「風邪の神様は燭台の下にいるから、食べない子には、風邪の神様がつくよ。」と言うのがあり、いつも風邪をひいたら思い出し、どんなにきつくてもご飯は食べました。それでも、風邪をひくときはひきますけど、何故か祖母の話しはなるほどと思うのです。

105歳で亡くなった祖母は、10歳くらいからよその家で働き、読み書きもカタカナくらいは書けますが、学校に行っていないので難しい事はわかりません。祖母は、こんな事も言ってます。「人を泣かせる人間にはなるな、自分は泣いても人は泣かせるな。」

祖母は、16歳で結婚。それも、夫になる人の家に連れて来られ、「ここが今日からあんたの家よ。」と言われ、その日から結婚生活がスタート。祖父は裕福な家に生まれたせいか、仕事をあまりせず、祖母が必死に働いたと聞いています。私の知っている祖父の姿は、キセルを吹かし、焼酎で晩酌している穏やかな人でした。
祖母は、全体を見通せる力を持っていて、どんな時も落ちついていましたが、とても気の強い人でもありました。

今朝も頑張って朝ごはんを食べましたが、風邪の神様退散してくれないかな?
今日は夜勤です。また、このかすれ声で話さないといけないかと思うと気が重いですが、めったにない、ハスキーボイスを楽しめると発想を変えて頑張りたいと思います。

私の声は何処へ行ったの?

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今朝起きてうがいをすると、「がらがら」言えないのです。

あれっ、て思いましたが、まさか声が出ないとはまだ気づきませんでした。

朝ごはんを用意して、食事して、コーヒーを飲みながら、着替えをすると、もう仕事に行く時間になっていました。

猫にご飯を上げ、「行ってくるね。」と言うと、声がかすれているではないですか?

喉の痛みはさほど強くありませんが、喉がイガイガして咳が時々出ます。

いつものように、バイクに乗り、職場へ向かい、いつもなら、バイクに乗っている時鼻歌を歌うのですが、声にならないカスカスの声ではメロディーになりません。

自分で言うのもなんですが、毎日朝、違う歌が出来上がるのです。自分は「ベートーベンの生まれ変わり」と友達に言うと、ドン引きされてしまいました。おかしいな、私はそう思っているんですが。ただ、覚えていないのと、楽譜に書けないから、忘れてしまうのです。

少し横道にそれましたが、職場に着くと、いつも車の整備のおじちゃんが挨拶をしてくれるのですが、私が「おはようございます」と言ってもちっとも聞こえず、挨拶しないって思われたかな?とちょっと心配になりました。それから、出会う人達に挨拶をしますが、やっぱり声が出ない。

病棟に着いて、職場の同僚にかすれ声で「おはようございます。」と言うと、目が見開いて、「どうしたんですか?」と聞かれ、「朝から声が出ないんです。」と言うと、少し笑い気味で、「大丈夫ですか?」と言われ、「はい、声だけがおかしいので大丈夫です。」と言うと、「熱はないんですか?」と聞かれ、「はい、測ってはいませんが多分ありません。」と答えました。その私の声もかすれかすれで、とても聞きずらい。

病室に行き、患者様に挨拶をすると、「まぁ、大丈夫、無理をしなさんな。」と優しい一言が帰ってきました。「ありがとうございます。大丈夫です。」でもなぜか、説得力に欠ける返答です。

私の勤める病院は高齢者の方が多く、耳の遠い人も多くいらして、聞こえずらい方には、耳元で話したり、ジェスチャーなどを使いコミュニケーションを駆使して、何とか最後まで仕事をすることが出来ました。

周りのスタッフのフォローや、患者様の優しさもあり、今日はまた違う仕事の仕方を覚えることが出来ました。

しかし、私の声は何処へ行ったのでしょう?

鼻歌も歌えないし、話をしたくても、声がかすれて、それでも無理にしゃべろうとすると、咳が出てしまうし。

今日は黙っていた方がいいのは分かっていますが、喋りたい。

家に帰り、猫に「ただいま」とかすれ声でいうと、無反応。

「私は今日はいつもより頑張ったんだよ、」と言っても、それよりご飯ちょうだいって言っているようにエサ入れのお皿のそばに連れて行こうとするのです。

猫のご飯を入れてあげると、待ってました、とばかりにカリカリ美味しそうに食べています。私は味覚があまりなく、喉は乾いて、お茶ばかり飲んでいました。でも、食欲はあります。こんな声でも、咳が出ても、ご飯はしっかり食べれます。えへっ、私の食い意地は最強の筋金入りです。1年を通して食欲がないことは、ほとんどありません。

料理は作りますが、食べる方が好きです。

明日になったら声が出るようになっているかな?

声の神様、私の美しい声は1日だけのレンタルだから、明日は返して下さいね。そうしないと、延滞料頂きますよ。

あの頃 テニス部夏の合宿

 

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高校2年生の時、テニス部で夏の合宿をしました。

場所は通っている高校。

奄美大島の夏は日差しが強く、立っているのも辛いのに、テニスの練習が朝からみっちりあるのです。ただ、違うのは、今日は学校に泊まる事が出来るのです。

群大会の前だったか、県大会の前だった忘れましたが、とにかく大きな大会の前でした。私の通う高校は県立高校でしたが、宿泊する場所はなく、家庭科室を借りて泊まることになりました。

夕食は家庭科室で、カレーをみんなで作り、楽しく食べました。それから、夜はちゃんと勉強もしました。

夜9時過ぎには、家庭科室に戻り布団を敷いて休みましたが、当然の如く、修学旅行のように嬉しくて眠れません。すると、一人の女子が、夏の夜にふさわしい話を始めたのです。「怪談」話です。内容はよく覚えていませんが、夜中の2時になると、鏡に自分の本当の姿が映る、とかそんな感じの話だったと思います。怖い話が終わると、家庭科室のあった姿見を誰かが、すぐにタオルで覆いました。

先生が「静かにして寝ろ」と大きな声で叱るので、みんな静かに布団に入りましたが、眠れません。身体は疲れているのに、目だけは疲れを知らないようです。それでも、いつの間にか眠りにつきました。何時間か経った頃、名前を呼ばれ起こされました。友達がトイレについてきて欲しいと言うので、トイレまで一緒に行きました。

想像して下さい。夜の高校の校舎を。

長い廊下を進んで行くと、トイレがあります。電気をつけても何故か怖く、友達の名前を呼んで、いるのを確かめたりしました。

私がテニス部に入った頃は、ちょうど「エースを狙え」の漫画が連載中で、私と同じ学年部員は40名ほどいました。憧れて真似てみましたが、そんなにうまくいくはずもなく、それでもほとんどの部員は辞めずに高校3年生まで続けたんですよ。

みんなテニスが好きだったんです。

テニスは私の心の支えになったり、自分自身を強くしてくれた大切なスポーツ以上の存在です。辛い時もテニスのお陰で乗り越えてきました。

テニス部のみんなと一緒に泊まった夜の事は、一生忘れない思い出の一つになりました。

 

雨の日の思い出

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こんばんは、今日の福岡は雨がよく降りました。今日は雨の日の思い出を書いてみます。

小学生の頃、帰ろうとすると急に雨が降り出し、しばらく雨宿りをしていると、お母さんが何人か迎えに来ました。私の母は来るはずはないのですが、一緒に帰る親子の姿をうらやましく見ていた私がいました。

しばらく待っても雨はやみそうにないので、そのまま濡れて帰りました。家に帰ると誰もいなくて、タオルで濡れた体を拭き、着替えをしました。

頭の中に親子で仲良く帰る姿が焼き付いて離れません。

両親共働きで、朝は早くに家を出て、朝ごはんは食パンを一つとコーヒー。上の兄たちは私より遅く起きても支度が早く、食事も早いので、末っ子の私はいつも最後まで座っていました。

小学校4年生の時に友達になった子は、小学校に行く途中にあったので、いつもその子の家に寄って、一緒に登校してました。その子は親の転勤で来ていて、色が白くてかわいくて、洋服もいつもかわいい服を着ていました。性格は優しくて、思いやりがあって頭もすごく良かったです。その子の家の朝ごはんを何度か見た事があるのですが、家族がそろって、目玉焼きにハム、サラダ、ご飯、みそ汁とあって、それを囲みニコニコ笑いながら食事する風景を見て、こんな家族もあるんだなぁと思いました。

その子は5年生になってまた転校して、鹿児島に帰っていきました。

小学生の頃の私は、いつも誰かとけんかして、一匹オオカミみたいな所がありました。グループには属せず、仲間に入れと言われて、「嫌だ」というと、4,5人の女の子に囲まれ、つつかれ、首根っこをつかまれましたが、それでも、「嫌だ」と言ってはねのけると、ボスみたいな子が、「この子はだめだから帰るよ。」と言って帰っていきました。その時一人の女の子が「あんたすごいね。」と言ったんです。すごいも何も、嫌なものは嫌と言っただけですから。

中学生になったら少し大人しくなり、かんかすると疲れるので、前ほどはしなくなりました。高校生になって、友達をいじめている子を見て、ブチ切れて首根っこつかんで、文句を言った事を覚えています。でも、みんなの前でしてしまったので、しばらくは男子にはからかわれ、女子には煙たがられてしましました。

「短気は損気」私によく言われた言葉です。

今はすっかり変わってしまい、けんかなんかしません。人畜無害のような人間のように見られています。私の小さい頃を知っている人は、大人しく働いている私を見たら何て言うのでしょう。

「負けず嫌いだったよね。」何十年ぶりかに連絡を取った友達に言われた言葉です。

はい、筋金入りの負けず嫌いでした。今でもそれは健在です。誰かを蹴落とそうとかするのに労力は使いません。試験勉強とか、テニスの試合とか、そういうものにはすごく熱くなるタイプでした。

私の小さい頃は、家は貧しく給食費を滞納して先生によく怒られてました。でも、兄弟5人分の給食費は一度には払えません。でも、滞納しても必ず遅れてでも払いました。

 

小さい頃の思い出を書くと暗くなりますが、想像力は豊でした。机がなくても、ベッドがなくても、自分の好きな部屋を想像して、ノートに書くのです。レースのフリフリのカーテン、白い机、かわいい服、ドレッサーにはたくさんの服。夜になり、窓の外には満点の星たち。満点の星たちを見ながら、リカちゃん人形のようなお家で暮らしている自分を想像しながら眠りにつくのです。ただ、残念なことにすぐに深い眠りに落ちるので、夢を見てませんが。

苦労して育ててくれた親には感謝しています。その親のお陰で今の私がいるのですから。

雨の思い出を書いていたら、小さい頃の思い出も蘇りました。

忘れていない思い出ってあるんだなって思いました。

居眠りしたけど面接授業終了しました。

 

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昨日から喉が痛くて、微熱のせいで頭痛がする体調で、朝はなかなか起きれず今日は面接授業が受けれるか心配しました。

とりあえず起きて朝ごはんの用意をして、お化粧しました。

2日間行かないと単位はもらえませんが、明日からの仕事に差し障ると困るので、かなり迷いましたが、行くことにしました。風邪薬と胃薬、頭痛薬も飲みました。

 

2日目の面接授業が始まりました。頭がぼーっとして、すぐに睡魔が襲ってきました。かなり強い睡魔です。時々意識がなくなるほどの睡魔と戦いながら、1時限、2時限目が過ぎていきました。お昼ご飯は自分で作ったお弁当を食べました。お腹いっぱいになったので、またまた睡魔との戦いが始まります。お昼からは、午前中よりも頭が揺れ、居眠りは完全にばればれ状態です。結局3時限、4時限目もほぼ寝て過ごしたようです。とにかく座っていれば、単位をもらえる、それだけを信じて頑張りました。

大っぴらには言えませんが、今日はよく頑張ったと思います。体調はすぐれませんでしたが、夕方までいたのですから。

面接授業で色々な方とお話が出来、仲間のように感じる事を体験出来たことも大きな収穫になりました。