片桐みかんの日記

感じた事や、伝えたい事をおもいつくまま書いてます。

「もう一つの心」禅の言葉から

おはようございます。

今朝は風が涼しくて心地よかったです。やっと秋の気配を感じた気がします。

 

 

今日は「動じない心をつくる禅の言葉 植西聰 成美文庫から紹介します。

わが心秋月に似たり 

碧潭(へきたん)清うして皎潔(こうけつ)たり 

物の比倫(ひりん)に堪(た)うるなし 

われをして如何(いかん)が説かしめん 

中国唐時代の詩作品『寒山詩

もう一つの心が、心の底にある。その心は喜怒哀楽に惑わず、秋の月のように澄んでいる。ただそれを言葉では伝えられないのだ。

禅の言葉には、しばしば「自分の中に、もう一人の自分がいる」「心の底に、もう一つの心がある」という考え方が登場します。

「もう一人の自分」「もう一つの心」に気づき、その「もう一人の自分」「もう一つの心」が命じる生き方に従うのが、悟りだと言われています。

ふだん人が意識している「心」は、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、安心したりする心です。

そかし、そういった喜怒哀楽に惑わされない、もう一つの心があるのです。

自分の中にあって、ふだんは意識していない、「清らかで純粋な心」を意識する機会をつくってみるといいと思います。

 

[超訳] 動じない心をつくる禅の言葉 (成美文庫)

[超訳] 動じない心をつくる禅の言葉 (成美文庫)

 

 

 

 

禅の言葉は心に時にはさらっと、時には深くぐっと入ってきます。

心の中にあるもう一つの心、私も時々登場します。

その心に従う時と、成り行きに任せる時とあります。

もう一つの心に従わずことを仕損じることも度々あり、後悔することもあります。

自分の心も厄介で迷うことが多く、ましてや他人の心を見ることなど出来ません。

せめて自分のもう一つの心の声を聴く、心のゆとりは持ち合わせていたいものです。

今日は夜勤です。

今から仮眠して、仕事に行きます。

皆さん、今日は「もう一つの心」を意識してみたらどうでしょうか。

私も、もう一つの心(純真な心)に向き合ってみます。