片桐みかんの日記

感じた事や、伝えたい事をおもいつくまま書いてます。

久しぶりの帰省(パートⅡ)

こんにちは。

7月19日(日)は父のお墓参りに行きました。

お墓参りの帰りに少し遠回りして観光して帰ることにしました。

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奄美大島瀬戸内町ホノホシ海岸です。

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奄美大島瀬戸内町マネン崎展望台からの風景

古仁屋のAコープに寄って飲み物とおにぎりを買い、まだ行ったことのない西古見灯台へと車を走らせました。

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奄美大島瀬戸内西古見を過ぎもう少しで西古見灯台です。

奄美大島瀬戸内町に16年住んでいましたがあまりに遠く行ったことがない場所の一つが西古見灯台でした。

雨も上がり夏の日差しが照り付ける中、少し狭くなっていく道を走ると通行止めの札。

仕方ないので反対側の道をゆくととんでもない道へと進んで行ったのです。

灯台らしき道にはつかず、代わりに草や落石だらけのがたがた道。

どれくらい走ったでしょうか?

母は隣で必死に手を合わせ、無事に帰れるように祈っています。

好奇心旺盛の私もさすがにやばいなって思いましたが、後戻りはできないほどの狭い道のりをただ前へ前へと進んで行きました。

30分くらい走ったでしょうか。

やっと大きな道へと出ました。後から長男に聞くと西古見灯台への道は通行止めになっていたとのこと。

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奄美大島大和村焼内湾から見た東シナ海

夕方三男の病院に行き、夜は長男夫婦とホテルで晩御飯を食べました。


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美味しい夕食後は母を送りホテルで眠りにつきました。

福岡に帰る日は明日です。

 

ずぼらな私の家計簿術!

こんにちは。

今日は私がやっている家計簿について書きたいと思います。

家計簿をつけるようになったのは、子供が生まれてから。

共働きだったのが出産と同時に主人のお給料一つになったのをきっかけにどんぶり勘定を何とか打開しようと始めました。

最初に買ったのは雑誌主婦の友についていた付録の家計簿(現在は発売されていません)。主婦の友に節約術やお金の管理のアドバイスが載っていたので参考にしました。

その内容を私なりに使いやすくしたのが

手持ちの現金と銀行振り込みなどの通帳は分けて管理。

手元の現金はそれぞれ袋に分けて入れます。

1ヶ月の食費、日用品費、新聞代、医療費、その他(かなり大雑把に振り分けます)

現在は洋服を買う頻度が上がったので洋服費もあります。

手元で使う食費は1週間×4で振り分けます。食費を減らすコツはなんと言ってもまとめ買い物まとめ献立だと思っています。以前の仕事をしていた時は毎日買い物をしていたので食材があまり廃棄処分が多くありました。その結果予算をはみ出ることがほとんどでした。

現在は日曜日にまとめて購入し日曜日に作り置きをしています。2週間に1回のペースで同じ食事が出てくるのが課題です。

・豚汁・がめ煮・ポトフ・おでん・肉豆腐・鍋・かぼちゃの煮物・ひじきの煮物

・スパサラ・ポテトサラダ・卵のサラダ・ウインナーの肉巻き・ハンバーグ

5,6品以上は作るようにしています。

日曜日の夕方は2時間ぐらい時間を使い定食屋さんのようにせっせとおかずを作っています。おかげで何とか予算以内か余ることも出てきました。

主婦の友の家計簿がなくなり、他の家計簿をしばらくつけていましたが、スマートフォンに買い替えたのをきっかけにアプリでつけるようになりました。

家計簿アプリは沢山ありますが、私が長年使っているのが「レシーピ!」です。

品目別に記帳するだけで、グラフにもしてくれて累計もでるので簡単です。

支払いをカードか現金で選ぶとカードの管理もできるので便利です。

私は細かくつけるのは苦手なのでレシートの総額を書いています。

家計簿をつけて何が一番良いかと言うと、何にお金を使ったかわかることです。ただ何となくお金がなくなるよりもずーっと安心感があります。

大雑把な性格の私は貯金をしてお金を貯めることは出来ませんが、家計簿をつけることで使い過ぎに注意する効果はあると思っています。

なかなか家計簿が続かないよって思っている方も、自分にあった家計簿を見つければ生活していく上で結構役に立つツールだと考えてます。

今世界中がコロナウイルスで大変な状況ですが、日々の中の何気ない幸せを見つけて過ごしていきたいと思っています。

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去年の桜です。この桜の木は老木で毎年元気にしているかなって思いながら写真に撮っています。撮影地は福岡市西公園です。

今年は暖冬で桜の開花が早いようです。今年も桜を見に行く予定です。

この老木の桜に会いに!

 

 

2020年スタート!目標立てましたか?

こんにちは。

2020年がスタートしましたね。

あなたは何か目標を立てましたか?

 

私は久しぶりの年末年始の6連休にやることリストを作成。

1、編物を1つ編み上げる。

2、プライムビデオで1つ作品を見る。

3、本を1冊読む。

4、なるべく身体を動かす。

5、ブログを更新する。

 

 

さて今日は最終日!

クリアしたことは、

1、3年越しの帽子を編み上げ、ただ今マフラーを2つ同時進行で編んでます。

2、プライムビデオで、

ぼくの名前はズッキーニ   ・俺はまだ本気出してないだけ

・ステキな金縛り       ・THE有頂天ホテル

万引き家族

を観ました。

3、本はまだ1冊読み終えてないです。

4、ほぼ家から外出することなく身体を動かさず食べて寝て、少し家事

して机に向かい編み物とゲームをして過ごしてました。

5、ブログの更新の最中。

 

 

年末年始の目標もこんな感じで進んでいますが、編み物をしながら思ったことがあります。編み物をしているとよく目を間違えてほどいてはまた編むのでなかなか進みません。飼い猫は毛糸目がけ手を伸ばしてきて、少し目を離せば机から編んでいた編み物が畳の上に落ちていてぐちゃぐちゃに・・・

世の中なんて自分の思うようにならない、こんな狭い家の中にいても思わぬ邪魔が入り行く手を阻むのですから、そして完璧にしなくても誰にも迷惑はかからないので気負う必要もないのだと、そう考えるといつ編み物を飽きて止めても良いかって!

 

ケアマネの仕事は制度を守るという使命みたいなのがあり窮屈に感じることがありましたが、自分の趣味は息抜きのような物なので自分の好きにして良いんだと思うとより楽しむことができた気がします。

 

2020年、1年はあっと言う間に過ぎていきます。

何か一つでもいいのでこれだけはやり遂げたという達成感は味わいたいと思っています。

昨年はケアマネの更新とケアマネの仕事を頑張ったので、今年は放送大学の勉強の再開と、自分だけの休みの時間を満喫する(好きな花の写真を撮る、色々な所へ出かける)。

 

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私の編み物の邪魔をするメインクーンのワトソン君です。

 

カメラを向けるとこのポーズ!

新しい出会いや親しい人との絆を深めながら今日からまた自分の信じた道を回り道や近道を探して歩いて行きたいと思っています。

2020年もブログ更新できるように頑張りますのでよろしくお願いします。

 



 

浜田省吾さんのコンサートに行って来ました!

こんにちは!

12月1日(日)福岡サンパレス

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1980年初めの頃の歌をたくさん歌ってくれて、会場は大いに盛り上がりました。

 

1980年の頃の私は浜田省吾さんの歌を少し知っているくらいで、コンサートに行ったこともありませんでしたが今回コンサートで聴くことができて本当に感激しました。

 

 

私は10年前からファンクラブに入り歌を聞いています。

1980年代の浜田省吾さんはDVDの中で見ることが出来ましたがやはりコンサートとは違いますね。

今回のコンサートで「明日なき世代」を熱唱する浜田省吾さんを見て、ものすごく嬉しくて感動しました。

 

 

40年の時を経ても色あせない歌!

 

 

コンサートで歌った曲が入ったアルバムを車の中で聴いてコンサートの余韻に浸っています。

 

 

幸せなひと時を過ごせたことで、これから先を頑張る勇気がもらえました。

 

 

 

 

踏み出す力

こんにちは。

先週知り合いの施設で歌を歌ってきました。

ギター片手に懐かしの歌を施設の方々と一緒に歌いました。

手作りの歌の本を作り持参。

ギターの演奏と歌声が施設の中に響き、笑顔がこぼれあっという間に用意した歌を歌い終わり、アンコールでもう2曲演奏しました。

 

ギターを久しぶりに弾いたので途中から人差し指から出血。痛みをこらえながら演奏しました。

ギターの演奏も歌も上手ではありませんが、少しでも楽しい時間を過ごせればという思いだけてやってみました。

幸い施設の方々が盛り上げて下さり楽しい時間を過ごすことが出来ました。

思えば介護の仕事を11年前から始め、いつか施設で歌えたら良いなと考えていたので、また一つ夢が叶いました。

私はいつも行動を起こす時に考えることがありまし。それは、やるか、やらないか、の2つだけ。

結果は考えません。とにかくやって上手くいかなかったら、その時にどうすれば良かったか考えます。

ギターは上手に弾けませんでした。歌もまずまずの出来でした。帰りの車の中ではもっと楽しんでくれるにはどうしたら良かったのか反省ばかりでした。

しばらくたつと、とにかくやれることはやった。何よりやった事だけは評価しても良いのかな!と自己満足。

次回は未定ですが、これからもやろうと思ったことはやってみようと思います。

人生は一度きり!

時間はあるようでない!

もしあなたが迷っているなら自分の心の声を聞いてみたら如何でしょうか?

踏み出す力になると思います。


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今日から日本シリーズですね。

私は福岡ソフトバンクを応援しています。

 

 

 

 

 

ケアマネ1年生から次のステップへ!

こんにちは。

今日はケアマネになった1年を振り返ってみようと思います。

去年の9月1日から初めてのケアマネの仕事がスタートしました。

ケアマネの資格を取ったのは4年前で実際実務を始めるのは今回が初めてでした。

ケアマネの仕事はやってみてわかることが多く、勉強したことはあまり役にたたないなって思ったほどでした。

最初は先輩ケアマネについて教えてもらいノウハウを学びました。

介護保険の仕組みも説明できず、冷や汗の連続。

1ヶ月のスケジュールは、月の初めは給付管理、中旬になると訪問がスタート。

ケアプランのモニタリング、プラン見直し、事業所との連絡、利用票や提供票、記録と一ぺんに色々なことをこなさないといけないので頭の中はオーバーヒート寸前。

受け持つ利用者の方と話をするのが唯一楽しい時間でした。

1、2ヶ月目はがむしゃらにやっている内に過ぎて行き、3ヶ月から6ヶ月目は何となくケアマネの仕事はこんな仕事なんだ、とわかったような感じで、半年が過ぎスケジュール調整が一番重要とわかり、1ヶ月間スケジュール調整がスムーズにいくように努めました。もちろんスケジュール通りにはいかないこともありますが、あらかじめわかっていることは準備をして臨みました。

ケアマネの仕事は終わりのない仕事ですが、メリハリも大事!

 

ケアマネは5年に1回の更新研修が義務付けられています。

今更新研修を受けているのですが、一人前のケアマネになるには最速で10年かかると講師の方が言ってました。常に学び自己研鑽しなくてはいけない職業だとも言われてました。

 

さて私の一人前のケアマネになる道はまだまだ長いのですが、そんな中

1年間ケアマネの仕事ができたのは周囲の協力や支えがあったからです。

家族や職場の方、利用者さん、事業所の方々が本当に温かく見守つて下さりここまでくることができました。もちろん飼い猫の存在も大きかったです。これからも優しい気持ちと笑顔を忘れず頑張っていきたいと思います。

 

こんな私ですが、ブログを読んで下さる方に伝えたいことがあります。それは、

新しいことに挑戦するのに遅すぎることはない!ということです。

大変なこともありますが、何とかなっていくものです。

誰にでもチャンスはあるし、自分の可能性を信じて進んでほしいと思います。

失敗しても良いじゃないかって、失敗から学べば良いと時に開き直り生きてみませんか?

 

それから1年経って、また新たに思うことがあります。

ケアマネになって何を目指していたんだろう?って自分に問いかけをしてしてみると、「人の役に立ちたい」がケアマネの仕事をやりたかった1番の理由でした。

これからも「人の役に立てる人間として成長していきたい」と思っています。

 

追伸:職場では何故か宇宙人とか、不思議ちゃんと呼ばれている私ですが本人は至って普通の人間だと思っています。まぁ「何が普通?」と聞かれると答えに困りますが・・・

 

 

夏休みの思い出

こんにちは。

今日は夏休みの思い出について書いてみます。

私は奄美大島で育ちましたが、母親が鹿児島の大隅半島の出身で母方の両親も住んでいたので毎年夏休みには鹿児島に行きました。

夏休みに入るとすぐ1週間ぐらいで宿題をすべて終わらせ、部活(テニス部に所属)の大会が終わるのを待って、2週間ぐらい鹿児島で過ごしました。

名瀬市(現奄美市)から夜9時のフェリーに乗ると、朝の8時30分ぐらいに着きます。

東シナ海は天候が良いとフェリーも揺れが小さいのですが、台風の影響があったり低気圧の影響があると時化て大変です。

寝ていても横にゴロゴロ動き、トイレに行く時は壁にぶつかりながら吐きそうになるのを我慢しながら行きます。何度乗っても船酔いしますから大変でした。

そんな中でも楽しみがありました。ゲームセンターの中にジュークボックスがありその頃は3曲100円だったかな、貴重な100円を使い好きな歌をかけて聴くのが大好きでした。何をかけていたのかは定かではありませんが、「君の瞳は100満ボルト」「迷い道」「飛んでイスタンブール」とか聴いていた気がします。

夜に好きなだけ起きていられるので、夜の海をずーっと眺めていたり星空を眺めているのがとても好きでした。特に明けてくる空を見るのが大好きでした。

小学校6年生くらいからは一人で鹿児島に行っていたので、一人旅をしている気分が最高に気持ち良かったのを覚えています。怖い記憶はほとんどなく、母からもらったお金を無くさないようにだけ気をつけていました。

船酔いするので食べた記憶はあまりありませんが、ジュースを自販機で買って大事に飲んだような気がします。

鹿児島に着きバスで鴨池フェリー(45分)の所へ行き、大隅半島に渡りました。

垂水からバスに乗ること40分(待ち時間が約1時間)、乗り換えて30分、バス停から祖父母の家まで30分かけてやっと着きます。

奄美大島の家を出て約2日間たっぷりかかります。

そんなにしても帰りたい祖父母の家と大好きな風景がありました。

祖父母の家は扇風機もありませんが、とても涼しくて心地よい場所でした。

美味しいご飯が食べれるわけでもなく、お小遣いがもらえることもないのに毎年かかさず行っていました。今思うと何で行っていたのかな?って疑問です。

ただ行かずにはおられない場所だったんだと思います。

祖父母の家の近くには従妹がいて、おばさん(母の妹)に着いたことを知らせると迎えに来てきれました。おばさんはとても良い人で、ご飯を食べさせてくれてお小遣いもくれました。お小遣いが欲しかったのではないのですが、いつでも優しく接してくれてました。そこは牛を飼っていて、牛を見るのも好きでした。

夕焼けが沈む風景は心がとても落ち着き、この風景を見る為に来ているのかな!と思ったりもします。

2週間の間、勉強のことも部活のことも何も考えずぼーっとして過ごせる時間が好きだったのかもしれません。

今は毎日が忙しくてぼーっとして過ごす時間がありませんが、夕焼けの空を眺めたり空を眺めたりする時間を大切にしたいと思っています。

あなたの夏休みの思い出は何ですか?