片桐みかんの日記

感じた事や、伝えたい事をおもいつくまま書いてます。

夏休みの思い出

こんにちは。

今日は夏休みの思い出について書いてみます。

私は奄美大島で育ちましたが、母親が鹿児島の大隅半島の出身で母方の両親も住んでいたので毎年夏休みには鹿児島に行きました。

夏休みに入るとすぐ1週間ぐらいで宿題をすべて終わらせ、部活(テニス部に所属)の大会が終わるのを待って、2週間ぐらい鹿児島で過ごしました。

名瀬市(現奄美市)から夜9時のフェリーに乗ると、朝の8時30分ぐらいに着きます。

東シナ海は天候が良いとフェリーも揺れが小さいのですが、台風の影響があったり低気圧の影響があると時化て大変です。

寝ていても横にゴロゴロ動き、トイレに行く時は壁にぶつかりながら吐きそうになるのを我慢しながら行きます。何度乗っても船酔いしますから大変でした。

そんな中でも楽しみがありました。ゲームセンターの中にジュークボックスがありその頃は3曲100円だったかな、貴重な100円を使い好きな歌をかけて聴くのが大好きでした。何をかけていたのかは定かではありませんが、「君の瞳は100満ボルト」「迷い道」「飛んでイスタンブール」とか聴いていた気がします。

夜に好きなだけ起きていられるので、夜の海をずーっと眺めていたり星空を眺めているのがとても好きでした。特に明けてくる空を見るのが大好きでした。

小学校6年生くらいからは一人で鹿児島に行っていたので、一人旅をしている気分が最高に気持ち良かったのを覚えています。怖い記憶はほとんどなく、母からもらったお金を無くさないようにだけ気をつけていました。

船酔いするので食べた記憶はあまりありませんが、ジュースを自販機で買って大事に飲んだような気がします。

鹿児島に着きバスで鴨池フェリー(45分)の所へ行き、大隅半島に渡りました。

垂水からバスに乗ること40分(待ち時間が約1時間)、乗り換えて30分、バス停から祖父母の家まで30分かけてやっと着きます。

奄美大島の家を出て約2日間たっぷりかかります。

そんなにしても帰りたい祖父母の家と大好きな風景がありました。

祖父母の家は扇風機もありませんが、とても涼しくて心地よい場所でした。

美味しいご飯が食べれるわけでもなく、お小遣いがもらえることもないのに毎年かかさず行っていました。今思うと何で行っていたのかな?って疑問です。

ただ行かずにはおられない場所だったんだと思います。

祖父母の家の近くには従妹がいて、おばさん(母の妹)に着いたことを知らせると迎えに来てきれました。おばさんはとても良い人で、ご飯を食べさせてくれてお小遣いもくれました。お小遣いが欲しかったのではないのですが、いつでも優しく接してくれてました。そこは牛を飼っていて、牛を見るのも好きでした。

夕焼けが沈む風景は心がとても落ち着き、この風景を見る為に来ているのかな!と思ったりもします。

2週間の間、勉強のことも部活のことも何も考えずぼーっとして過ごせる時間が好きだったのかもしれません。

今は毎日が忙しくてぼーっとして過ごす時間がありませんが、夕焼けの空を眺めたり空を眺めたりする時間を大切にしたいと思っています。

あなたの夏休みの思い出は何ですか?