片桐みかんの日記

感じた事や、伝えたい事をおもいつくまま書いてます。

あの頃 高校生の昼ごはんー片桐みかん版

こんばんは。

高校生の頃、お弁当を作ってもらっていましたか?

私の家は、高校生になると自分で弁当を作る伝統があり、私もそれに倣い高校生になると同時に作り始めました。

みそ汁も、目玉焼きもご飯も炊いた事がない私は、母に逆らうこともなく3年間作りました。おかずは母が買ってきてくれているので、朝弁当に入れます。

ほぼ同じおかずで、赤いウインナー、さつま揚げ、ボンレスハム、卵焼きの組み合わせ。たまに、前の日のおかずの残りが入ることも。

父も自分で弁当を詰めていました。ランチジャーにみそ汁、白ご飯、おかず。

おかずは母が作っていた物を詰めていたようです。

母は何をしていたのでしょう。夜遅くまで働いていたので、朝は寝ていました。

朝ごはんも自分で用意して、弁当も作って、遅刻しないように学校に行ってました。

時々弁当が作れない時は(寝坊とか、朝練とか)。パン代をもらっていました。

確か、250円くらい。

4時間目が終わると、キンコンカンコン鳴っている間に、校庭に走ります。なぜ走るかと言うと、数に限りがあるからです。その頃から、食い意地、とりごしが強かったんだと思います。

3年間食べたパンは、ソーセージパンと、あんドーナッツです。ソーセージパンも、あんドーナッツも油で揚げたパンですが、カロリーなんてその頃は全く気にしていませんから、好きな物を食べていました。

私の通っていた高校は購買部とかはないので、校庭に町のパンやが売りきていました。

大丸パンと言って、町では1、2位を争うくらいのパンやで、とっても美味しんです。

特にウルトラCと言うパンは最高に美味しいです。なぜそのパンは昼には買わないかという疑問をお持ちのあなた?答えは、ウルトラCりあんドーナッツのパンが好きだったから。ウルトラCはどんなパンかというと、いちごジャムとカステラがパンにサンドしてあり、その甘さ、バランスがとても良いのです。町の人は多分ほとんどの方が好きだったと思います。

パンの話が長くなってきましたね。

お弁当の話に戻しましょう。お弁当は仲良しの友達と食べていました。今でも付き合いのある友達4人とよく一緒に食べていました。お弁当箱も、個性があり、私は鹿児島で買ってきた、パティ&ジミーの絵(サンリオ)のついた弁当箱がお気に入りでした。

友達4人でペチャクチャ話していると、いつも楽しい昼休みが終わってしまうのでした。お弁当の中身が気にはなりましたが、たいした弁当の中身でなくても、誰も馬鹿にすることなく、仲良くわいわい話せて食べれて、楽しい思い出が出来ました。

皆さんはお弁当は作ってもらっていましたか?

3年間お弁当を作ることで、結婚して役に立ったかな?と考えると私の場合はあまり関係なかったかもしれません。なにせ、結婚当初は、何を作るでも時間がかかり、あまりおいしくありませんでした。今はと言うと、数をこなした分それなりに満足して頂いているのでは?と考えています。

今日もブログを読んで下さりありがとうございました。

毎日今日は何について書こうかな?って頼まれてもいないのに考えるんですよ。おかしいでしょ。興味があったら、また訪問して下さいね。